未来の有情利せんとて・・・
親鸞さんが作りはった正像末和讃に・・・
無碍光仏のみことには 未来の有情利せんとて 大勢至菩薩に 智慧の念仏さずけしむ
が、あります・・・
無碍光仏(阿弥陀仏)が言われるに、未来の情あるものを救うために、大勢至菩薩に、智慧の念仏をさずけしめます、と。。。
無碍光仏は阿弥陀仏の異名なんやけど、ここは、「阿弥陀仏のみことには」とは言わずに「無碍光仏のみことには」といってはるんやけど・・・
あえて、「無碍光仏」といいはったのは???
障碍(しょうげ)無しと・・・
あたいたちは、生れてよりこの方、色んな物や出来事に出合い、教えられ、学び、そんな中で価値観、常識、を身に付けながら生きています・・・
実は、その身に付けている「もの」が自分を利するものなのかが、問われること無しに・・・
自利だけで、自分は本当に満足できるのか・・・
今まで大事だと身に着けていた物で「満足」しているのか・・・
利他、他のこと、自分以外の人のことが気になることがありませんか・・・
その自分以外の人「未来の有情」が・・・
人間は自分一人だけで満足して終わる生き物では無いのかも知れませんね。。。
いのちは、連続無窮につながっている・・・
過去・現在・未来と・・・
そのつながりを生きようとした時に必要であり、そのことに気付かさせてくれるのが「智慧の念仏」だと・・・
そんなことを教えているのがこの和讃なのかもしれませんね。。。
無碍光仏のみことには 未来の有情利せんとて 大勢至菩薩に 智慧の念仏さずけしむ
2018年03月26日
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